私たちの暮らしの中にある、ありふれた道具の一つ、サッシの鍵(クレセント錠)。その形状や機能の変遷をたどってみると、そこには、日本の住宅事情や、人々の防犯意識の移り変わりという、大きな時代の流れが映し出されています。かつて、高度経済成長期の日本において、住宅に求められたのは、まず第一に「量」でした。多くの家庭の窓に取り付けられていたのは、ごくシンプルな、金属のレバーを回転させるだけのクレセント錠でした。その主な目的は、雨風の侵入を防ぎ、窓のガタつきを抑えることであり、「防犯」という意識は、まだ希薄だったと言えるでしょう。当時の日本社会が、比較的安全で、ご近所付き合いも密であったことの、ある種の証左とも言えます。しかし、時代が平成に入り、都市部への人口集中や、ライフスタイルの変化によって、空き巣などの侵入犯罪が増加し始めると、人々の意識も大きく変わっていきます。それに呼応するように、サッシの鍵にも「防犯性能」が求められるようになりました。その第一世代として登場したのが、「鍵付きクレセント錠」です。レバーの根元に小さな鍵が付いているこの製品は、「たとえガラスを割られても、鍵がなければ開けられない」という、新しい防犯の概念を住宅にもたらしました。さらに、鍵を管理する煩わしさを解消する「ダイヤル式クレセント錠」も登場し、防犯と利便性の両立が図られるようになります。そして現代、私たちは、防犯対策をさらに多角的に考える時代に生きています。クレセント錠の強化はもちろんのこと、補助錠の追加による「ツーロック化」、防犯フィルムによるガラスの強化、そしてセンサーによる異常検知など、様々な技術を組み合わせることが当たり前になりつつあります。一つの小さなサッシの鍵が、単なる建具の部品から、住まいを守るための高度なセキュリティデバイスへと、その役割を進化させてきたのです。この変遷は、私たちが、失われた「安全神話」の代わりに、自らの手で「安全を構築する」という意識を、着実に育んできた歴史そのものなのです。
サッシの鍵が物語る、時代の移り変わりと防犯意識